島の未来は「島」で描く。 島の内と外を縦横無尽につなぐローカルパラレルキャリアとは? -topics-
沖縄にある37の有人離島の中でも手つかずの魅力が眠っているのが、石垣島と宮古島の間にある黒糖生産量日本一の島、多良間島です。
波平雄翔さんは生まれも育ちも多良間島。高校時代を宮古島、大学時代を沖縄本島で過ごした後、観光や特産品の開発・プロモーションを手掛ける広告制作会社などで経験を積み、32歳で愛する故郷に戻り新たな挑戦を始めました。
島にUターンして1年と少し、島の人々の暮らしをよくするためにできることはなんでも行ってきた結果、「地域離島コーディネーター」「多良間島観光コンシェルジュ」をはじめ、「教員」、「かまぼこ屋」、「パン屋」と多彩な肩書きを持つように。「多良間島には、まだやっていないことがたくさんある。ポテンシャルしかない」と純度100%の希望を放つ波平さんに、島のこと、仕事のこと、暮らしや未来のことを伺いました。
「ないものねだり」をせず、「ないものビジネス」を起こす
高校のない島で四人きょうだいの長男に生まれた波平さん。両親は、父が自動車の整備工場、母が肉用牛の繁殖経営を手がけ、食卓には父が船釣りしてきた亜熱帯色の魚が並ぶ島らしい家庭で育ちました。大好物は島の特産品でもあるヤギ刺しとヤギ汁。高校進学と共に島を出る時から「いつかは大好きな島に戻ってくる」と心に決めており、決心が揺らいだことはなかったそうです。
「人口減少が止まらなかったり、進学で島を出た若い人が戻ってこなかったり。建築資材の輸送費が高くつき、職人さんも島外から呼ばなければならない離島のハンデから、家を建てるときの坪単価が約150万円とものすごく高くて。僕も、今住んでいる賃貸住宅の契約が切れた後の住まいが決まっていないくらい住宅難です(笑)。問題を数え上げればキリがないのかもしれませんが、僕にはその全てが『まだやっていないポテンシャル』にしか見えないんです」
広告制作会社にいたとき、仕事で沖縄にあるほとんどの離島を巡ったといいます。そのなかで、「リゾート化される前の昔ながらの石垣島や宮古島がよかった」という言葉を耳にするたびに、「多良間には昔ながらの良さが今もなお残っているのに気づかれていない」と感じてきたそう。また、黒糖生産量が日本一なのに特産品の商品が4つしかないなど、チャレンジしたい人にとっては最高の余白がまだまだ残されていると言います。
「“ない”=“生み出せるチャンス”だと思うんです。だから、多良間はいろんな人がアイデアや力を発揮できるフィールドだと思う。自分だけではチャレンジできていないことが多すぎてもったいないくらいです」
そう話す波平さんですが、島に戻って1年強の間にすでに多くのことにチャレンジしてきました。たとえば、島にパン屋がないので、那覇に本店のある人気のパン屋「いまいパン」と連携。島の中で注文を集め、いまいパンに発注し、発送してもらっています。また、石垣島のマーミヤかまぼこと代理店契約を結び、こちらも月に1度発注しているのだそう。
「ないものばかりなので、なにがあったら島の人たちの暮らしが豊かになるかをヒアリングして、お困りごとを解決。そして、それがちゃんと仕事になる『ないものビジネス』がたくさんできて楽しいです」
さらには、小学校の教員として複式学級の授業も受け持っています。
複数のパラレルワークを自ら生み出しながらも、メインで取り組んでいるのは「地域離島コーディネーター」と「多良間島観光コンシェルジュ」の仕事です。
「約1,000人が暮らす多良間島は、隣の水納島と合わせて多良間村というひとつの行政区。村役場では、島をよくするためにさまざまな課題に対して公共事業の予算を用意して対策をしています。また、島内だけでなく、島外から多良間に興味を持ってくれている人の中にもさまざまなプレイヤーがいます。でも、島の外と中をつなぎながら動ける人がいないために、実現しないことがたくさんある。外から島に関わっていたときにそのことを痛感し、だったら自分でやろう!と決めてフリーランスの地域離島コーディネーターの道を選んだんです。また、多良間で観光ガイドができるのは80歳のおじいちゃん1人しかおらず、このままだと島のいいところや歴史、文化を伝える人がいなくなってしまうと思い、先輩や地域おこし協力隊に声をかけて3人で多良間島観光コンシェルジュを始めました」
島の暮らしを楽しいほうへ。多良間の暮らしを次世代に残す
波平さんが"5足のわらじ"で奔走する背景には、次のような想いと考えがあります。
「島が好きだから、残していきたいんです。そのためには、今島に暮らしている人たちが『ここで暮らしていて幸せ』と思えることが大切だと思っています。この2つを実現するためにどうしたらいいか?という観点から自分の役割を見つけて担っています」
役割を担うときに大切にしているのが、ひとりで抱え込まずに誰かの力を借りること。島を出て働いた10年で得たネットワークが、広く開かれたアクションを生み出しているようです。
2022年には、沖縄各地で企画された「沖縄しまむすびワーケーション」を多良間島でコーディネートしました。沖縄しまむすびワーケーションとは、ビジターがリモートワークをするだけでなく、地域の人たちと共に可能性や課題に向き合う共創型ワーケーションです。
「多良間での企画に、沖縄本島などで5店舗を展開するカレー店『あじとや』のオーナーさんが参加してくださいました。あじとやさんは多良間産の黒糖を使ったカレーを提供していますが、多良間には来たことがありませんでした。そこで、来島するタイミングで島の人たちと交流していただき、教育委員会も巻き込んで学校の給食で子どもたちがカレーを食べられる機会をつくろうと動くことに。黒糖で美味しいカレーができると知って、島の人たちは驚き喜んでくれました。この刺激がきっかけとなり、多良間の特産品を一緒につくっていく動きも生まれています」
また、観光コンシェルジュとしては、島の暮らしに潜む文化や歴史をゆっくりと探訪してもらうべくレンタル電動キックボード「Rimo」を導入。島の風習である野草食や電灯潜りをツーリストに体験してもらうプログラムをつくるなど、島の外と中をつなぐ新しい取り組みに次々とチャレンジしています。
「島の外から来た人たちが喜んでくれると、島の人たちが当たり前だと思っている事に光が当たります。それが、島の人たちの幸福度を上げ、島の魅力を再発見するきっかけになるんです」
波平さん自身、一度島を出て戻り、改めて島で暮らす人々と触れあうことで気づけた島の面白さがたくさんあるといいます。だからこそ、外の人の力を借りて島の人々が自分達の魅力に気づくことが、文化や歴史を次世代に残すために必要不可欠な第一歩だと考えているそうです。
「独特な方言『たらまふつ』も、林業遺産に認定された琉球風水で設計された集落も、知らなければ消えていってしまいます。一方で、伝える機会がなければ知ろうとも思わない。だから、さまざまな形で島の外の人に伝えるチャンスを増やしていこうと思います」
多良間の魅力を一緒に味わい、課題に取り組む仲間を増やしたい
波平さんが見据えているのは、“坪単価150万円”という最難関の問題です。唯一無二の文化や歴史に光を当てた観光プログラムに惹かれて島を訪れるツーリストをもてなす宿泊施設がなく、移住希望者が住む家も見つかりにくい現状の突破口を切り開かなくてはいけません。
島の外の人々の知恵や力を引き寄せ、島の中の人々も巻き込みながら課題に挑戦する波平さんは今、ともに立ち向かう仲間を求めています。