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オーガニックの力で、心身も社会も環境も良い方向へ--オーガニック&サステナブルプロデューサー小原壮太郎さんの、力強い歩み

オーガニックな食や自然との繋がりで、心身も社会も環境も回復する--そんな信念のもと有機農業の普及活動に奔走し、一般社団法人『the Organic』を立ち上げ、全国有機農業推進協議会の理事・事務局長や『日本オーガニック会議』の発起・執行メンバーとしても活動なさっている小原壮太郎さん。近年は環境省のアンバサダーや委員としても、サステナブルな社会作りを推進しています。より良い社会を作るための課題への向き合い方について、教えていただきました。

オーガニック&サステナブルプロデューサー 
小原壮太郎さん
10年間の広告会社勤務を経て、アメリカへ留学。帰国後、アントニオ猪木氏のプロレス団体代表取締役に就任し、北朝鮮訪問同行を機に農業問題改善に取り組み始める。2013年、四角大輔氏とともに『the Organic』を設立。2016年、環境省の『森里川海アンバサダー』に就任。2018年より全国有機農業推進協議会理事に就任、昨年9月には『日本オーガニック会議』を立ち上げ、中核メンバーとして日本のオーガニック普及・拡大に向けて取り組んでいる。


「この人が作った社会の仕組み良いよね」と言われる社会起業家を目指して

――まず小原さんの経歴を教えてください。

アメリカンフットボールと総合格闘技とドラムに打ち込んだ学生時代を経て、いざ就職活動で何をしようかなと思ったんです。未来の小学生に「この人が作った社会の仕組み良いよね」って褒めてもらっている映像が頭に浮かんで人生でやりたいことは、お金儲けではなく未来の世代がハッピーに生きられるような環境を創るのに貢献することだと気づきました。

そんなときに、僕の頭に浮かんだのは社会起業家になること。当時は就職超氷河期で。よその大学の就職部にも忍び込んでOB訪問していたら、どんどん楽しくなって、結果的に150人に会いました(笑)。そしたらどんどん内定をいただけるようになって。前向きにアクションを起こすと環境は変わるという成功体験になりましたね。

――10年働いた広告会社を辞めて、アメリカ留学を決めたのはなぜでしょうか?

社会起業家の活動イメージを求めてさまざまな本やネットで情報を集めまして、ムハマド・ユヌスというバングラデシュの社会起業家を知ったんです。

「貧困は負のスパイラルで、毎日カゴを編んでも仲介者に買い叩かれてなかなか儲からない地域もある。そこで彼は、5人のチームを組ませて互いに支え合うメソッドを作り、金利はかかってもお金を借りて自ら材料を仕入れ、自分でカゴを売る、というような自立を促すマイクロファイナンスという仕組みを作りました。するとみんな着実に利益を生み出し始めて、次第に子どもも学校に行けるようになり、貧困問題が根本的に解決されていく」

このモデル・考えに感銘を受けて、事業計画書を作って投資家の方々に提案し、出資していただけることにはなりましたが、語学力や専門知識がまだまだ乏しかったこともあり米国の大学院入学を目指して留学しました。家庭の事情で留学も志半ばで帰国することになりましたが、博報堂時代に担当させていただいたベンチャー企業の会長さんにお声をかけていただき執行役員として入社し、事業再生に奔走しました。その際に、その企業が出資していたアントニオ猪木さんのプロレス団体の代表取締役を務めることになったんです(笑)

――社会起業家になる!という夢から遠ざかっている気が…!

そうなんですよね(笑)

オーガニックの力を目の当たりにした瞬間

ーー有機農業との出合いはいつだったのでしょうか?

2008年に、猪木さんに同行して北朝鮮を訪れました。北朝鮮出身のプロレスラー力道山を師匠に持つ猪木さんは、師匠の遺志を実現すべく1995年に北朝鮮でプロレスを開催なさったことが契機となって毎年国賓待遇で招かれているんです。政府の方々とお話するなかでお互いの国が有する農と食の問題に気づきをいただき、それを機に、いろんな農園に視察に行くようになりました。

大きな出会いとなったのが、千葉の香取市にあるオーガニック農園くりもと地球村でした。そこでは、皮膚が弱かったり、心が弱っている方のケアをするプログラムがあると聞き、半信半疑で農業体験へ。でも到着してすぐに畑の気持ち良さを実感し、これは想像を超えたパワーがあるなと。また目を開けられないくらい風が強い日だったのに、その農園だけ砂埃が舞っていないんです。水でも撒いた後なのかなと思ったら、有機農業で微生物が活性化することで、保水力の高い土壌になるからだということを知って本当に驚きました。初めてオーガニックの野菜と玄米を食べて、その甘くて濃い味わいにも驚きました。

――オーガニックの力を目の当たりにされたのですね。

朝起きて畑に立つだけで、ストレスが大地に抜けていく感じがするんですよ。自然とともに生きることで多くの不調は良い方向に向かう実感があり、人間本来の機能が正常化したら健康にもなるだろうと確信しました。オーガニック野菜を食べることで身体も瑞々しくなる感覚があり、人間の身体は食べ物でできていることに改めて気づきました。

――そこから有機農業を広げる活動を始めることに。具体的にはどんな活動を始めたのですか?

大手航空会社をはじめさまざまな企業の方々と協力し、福利厚生として心身に不調を感じている方も含む従業員の方々を千葉の農園に案内し、農業体験によって意識や行動を変容させる取り組みを行いました。2013年には、音楽プロデューサーとして活躍してきた盟友・四角大輔と『the Organic』を立ち上げました。彼も自然との繋がりや食で健康を回復した自己体験を持っていて、互いに人生をかけてオーガニックを広げていこうと決めたんです。

「オーガニックを広げるのも、最初に誰と組んで、どのツボを押すかで決まるから、考え抜いて決めてほしい」と。多くのミリオンセラーを生み出すことに貢献してきた四角が言うのだから、これは真剣に考えなければならないと思いましたね。

――最初に押すツボですべてが決まる…どのように見定めたのでしょうか?

いま有機農業のシェア率は0.5%強ですが、2013年の時点では0.2〜0.3%ほど。しかもその中で、各々が農法や思想の違いを理由に、分裂しているという状態でした。その時、格闘技に圧されるプロレス業界に対して「小さくなったピザを奪い合ってどうするんだ! ピザを大きくしろ!」と言っていた猪木さんの言葉と重なるな〜と思いました(笑)

分断している有機農業界をひとつのチームにできないかと考え、そのキーパーソンであると考えた埼玉県小川町の農家の金子美登さんに会いに行きました。1971年から有機農業に取り組んできた先駆者で、20代の時に有吉佐和子著『複合汚染その後』で司馬遼󠄁太郎さんと対談しているような方です。小川町では、金子さんの30年の有機農業を見てきた地域の先輩が中心となって金子さんに地域一丸となってノウハウを教わり、地区の20ヘクタール超の畑をすべてオーガニックに変えることに成功しました。その地域が2010年には天皇杯を受賞し、2014年には天皇・皇后両陛下の行幸啓をお迎えするに至るのですが、その田畑の中で打ち合わせをしていたら、四角が「この中でフェスをやったら最高ですね」と言い出しまして、それがきっかけとなって2014年から「Ogawa Organic Fes(小川町オーガニックフェス)」を立ち上げました。

活動を通して感じる、世の中の意識の変化

――オーガニックやサステナビリティに対し、世の中の意識が変わってきたという実感はありますか?

2016年に環境省の「森里川海プロジェクト」のアンバサダーを拝命したのですが、2015年のパリ協定やSDGsの立ち上がりを契機に、世の中の見方が180度変わったと感じています。様々な大企業や学校等からも講演やアドバイスの依頼をいただくようになり、「あ、これは潮目が変わったな」と。2019年のG20とSDGサミットの両方でSDGsと海洋プラスチックゴミ問題が議論され、2016年頃には10%程度だったSDGsの認知が2020年には30%を超えました。2017年からは新学校指導要領にも「持続可能な社会の創り手となる」という文章が加わり、小・中学校、高校、大学でのSDGs教育が広がりつつあります。2020年に菅首相がカーボンニュートラルを宣言されたあたりから、オーガニックの普及・拡大がサステナビリティ推進の中核となり、拡大フェーズに入った、という実感がありましたね。

――環境省のアンバサダーになったのはどんな経緯で?

共にアンバサダーを務める大葉ナナコさんのご紹介で、現・環境省事務次官の中井徳太郎さんと出会い、彼がボトムアップで人の暮らしや意識を変えていく運動をやらないといけないと考えていらっしゃって、僕や四角の考え方と共鳴したんです。

環境省のプロジェクトでも、魂を込められる人たちが本気で関われば社会は変わっていくとお伝えしました。僕らのまわりには僕や四角のように働きすぎて心身を壊してしまったアーティストたちが結構いて、自己体験から食や自然との繋がりが大事だとメッセージを発信することができると確信していました。そこで13人の仲間たちを環境大臣にアンバサダー認定していただき、ソーシャルアクティビストチーム『MOTHER EARTH』を組成して、環境省と連携した啓発活動を始めることになりました。

2019年のG20では、環境省と日本環境設計株式会社とファッション誌『VOGUE』とともに海洋プラスチックゴミからバッグを作り、各国の閣僚にプレゼンテーションするプロジェクトなどもやりました。

2022年『FREEDOM 淡路島』復活

――アンバサダー仲間である歌手のMINMIさんが主宰するフェスを、今夏、淡路島で開催予定だそうですね。

MINMIさんにとってもデビュー20周年となる今年の8月21日に『FREEDOM 淡路島』を復活させます。淡路島は『古事記』にも登場する国生みの島といわれ、スピリチュアルで不思議なパワーがあるといわれる大切な場所です。そういう場所だからこそサステナブルな社会を作ろうというメッセージを発信していこうとMINMIさんが発案し、僕や仲間たちでサステナビリティ領域のプロデュースを担当しています。

2025年の大阪・関西万博​​で催事企画プロデューサーを担う、クリエイティブディレクターの小橋賢児さんにも声をかけ、クリエイティブアドバイザーに就任してもらいました。クラウドファンディングは堀江貴文さんが支援してくれています。サステナビリティ推進ってどうしても堅い運動みたいになってしまいがちだけれど、異なる文脈の人たちが入ることで、より大きな動きを生み出せることもある。それはMINMIさんのようなアーティストの力や絆があるからこそだし、僕自身も四角とともにエンターテインメントの力を生かして啓発してきた経験があるからこそできることもあるなと実感しています。

――フェスで考えているサステナブルな取り組みについて教えてください。

フェスのグッズって貴重な収益源なのですが、コロナ禍で在庫が捌けなくなっていたりするんですね。特に開催の年がプリントされてしまっていると、もう売ることもできない。そんなグッズを持続可能なものにしたいというMINMIさんからの発案で、環境省アンバサダー仲間でもあるマリエさんに企画に入ってもらいました。彼女はニューヨークのパーソンズ美術学校でファッションについて学び、サステナブルなファッションブランドを手がけているので、素材からノウハウまですべてわかっている。コロナ禍での余剰ロールを使って受注生産でタオルを作ったり、古いフェスTシャツのリメイクを提案したりしています。地域のアーティストや匠とも連携して、地域の資源や伝統技術なども活かした希少なグッズも展開する予定です。

またグッズだけでなく、地元の農家や漁師に協力してもらって地産地消のオーガニック&ナチュラルな食にもこだわりました。“その土地で開催する意味”をあらゆる方面で伝える、新しい音楽フェスのモデルを提唱することを目指しています。

寛容性のある、バランサーとしての役割

――小原さん自身が日々心がけていることはありますか?

サステナビリティって一歩一歩積んでいくものでしかない。トップダウンの政府戦略やアーティストによる啓発も大事だけれど、日々の暮らしの意識をみんなが変えていくことが必要。僕自身はペットボトルを使わないように水筒を持ち歩いたり、大量生産ではないものを買うようにしています。仲間とごはんを食べる時にも「この食品にはこんなストーリーがあって」と、ついサステナブルコンシェルジュのようになってしまう(笑)

でもオーガニックな食に徹しているわけではないし、たまに娘とジャンクフードを食べて「やっぱり胃がもたれたな」とか笑い合っています。サステナビリティも寛容性が大事だと思うんです。僕は自分のことをバランサーだと思っているんですが、だからこそストイックな方も無関心な方も繋げることができるんだと思います。その両方が必要で、それぞれの役割がある。どちらも敵対することなく、全体的により良い方へ向かうことができれば、地球温暖化も食糧危機も解決できる糸口が大きく広がると思います。

*  *  *  

オーガニックもサステナビリティも寛容性が大事。そんな柔軟で広い視野を持つ小原さんだからこそ、あらゆる意見の人たちを受け止めて繋ぎながら、より良い社会へと導いていけるのだと感じました。自分にも他者にも地球にも優しく、日々の暮らしでできることから始めたいですよね。

『FREEDOM 淡路島』ではクラウドファンディングも開催中!
ぜひご覧ください。

撮影:森正岳
取材・執筆:鈴木桃子



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